おせんべいの歴史

せんべい

おせんべいと一口で言っても、原料、味、形は様々です。関東では草加せんべいに代表される塩辛い米菓を指すことが多いですが、東北では小麦粉由来の南部煎餅、関西では小麦粉と卵から作られた甘い煎餅など、地域によって異なります。ここでは、米菓の煎餅の歴史をたどっていきます。

古代ー煎餅の始まりは小麦粉が原料だった

煎餅と言う言葉自体は、中国の古い史料に記録があります。7世紀初頭の年中行事を記した『荊楚歳時記』(けいそさいじき)では、正月に食べるものとして記載されています。日本での最古の史料は『正倉院文書』のなかの天平9年(737年)の文書に見ることができます。 

935年以前に書かれたとされる『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)には煎餅が小麦粉から作られたと書かれており、古代で言う煎餅は、小麦粉由来の食べ物であったと考えられています。それも、現代のようなお菓子としてのくくりではなく、腹持ちのする主食の一つでした。

中世ー茶の湯から派生したお菓子へ

煎餅が嗜好品となったのは室町期以降。茶道を確立した千利休の門人幸兵衛が小麦粉の甘い煎餅を考案したとも言われています。「せんのこうべい」の名前から「せんべい」と言う名前になったのではないかと言う説があります。甘い煎餅が考案されたことで、その後は嗜好品となり発展していきます。

近世ー米のおせんべいの登場

米菓としてのおせんべいがいつ頃から食べられていたのかははっきりとはしていません。少なくとも江戸時代にはすでに農家の間でくず米や余った米を上新粉にして団子を作り、天日で干して間食として煎餅を食べていたと考えられています。

もち米から作られたおかきやあられはお正月のお供えである鏡餅から派生しており、年中行事と関わる食べものでした。一方で、うるち米から作られる煎餅は、くず米の再利用から考案されており、最初から庶民の間食としての存在でした。

うるち米から作られた煎餅の普及に大きく貢献したのが、日光街道の草加宿。米どころであった草加では、日光街道を行きかう旅人に上新粉から作られた団子をふるまっていました。江戸時代には団子に塩を混ぜ込んで乾燥させ、塩煎餅として食べるようになったと言われています。

草加せんべいの成り立ちとして有名な創作話があります。草加宿で茶店を営んでいたおせんと言うおばあさんが売れ残りの団子の処理に困っていたところ、旅の途中の武士につぶして乾かしてから焼いたらどうだ、とアイデアをもらって作ったというものです。

昭和になってから作られた創作とされていますが、草加せんべいが全国で愛される嗜好品となった一翼を担っているかもしれません。他にも似たような煎餅は、町屋、千住、金町、柴又などでも良く作られていました。特に宿場町であったことが、草加せんべいと言う名物が全国に広まる発端になったと考えられます。

近代ーせんべいに醤油が塗られた

今でいうおせんべいがしょうゆや砂糖で味付けされるようになるまでは塩を練りこんだ塩煎餅が定番でした。1700年代半ばに関東地方でも醤油が作られるようになり、手軽に使える調味料として庶民に普及しました。せんべいに塗られるようになったのは幕末と考えられており、明治期に現在の醬油煎餅の形ができあがりました。

草加せんべいが爆発的な知名度を得るきっかけになったのは、大正に入ってからです。川越で行われた特別大演習の時に大正天皇が召し上がられたことによって評価されました。その後、草加せんべいが醤油味の堅焼き煎餅の代名詞となって各地で模倣されました。

草加の名前を使用することに制限を設けられなかったことによって、味や品質がばらばらなものまであり品質のよくないものも出回ってしまいましたが、濫用されていたことによって良くも悪くも全国に名前が広められたとも考えられます。

現代ー進化していくおせんべい

近代以降には米菓のおせんべいが日常食として定着していきましたが、太平洋戦争によりいったん米菓製造の歴史は途絶えます。米が配給制となり原材料が手に入らなくなったことによる暗くて厳しい社会情勢が背景にありました。

戦後、国が復興して食糧事情が回復し、米の生産の伸びとともに米菓も復活し、発展を遂げます。現在は戦後に起業した米菓メーカーがほとんどですが、戦前からの技術をつなぐ努力をされて現在に至る老舗のおせんべいやさんも少なからずいらっしゃいます。

技術の発達によって軽い食感のおせんべいや、つまんで気軽に食べられる柿の種、揚げせんべいなど新しい米菓が次々と誕生しました。今でも新しいおせんべいはどこかで開発されている一方で、伝統の味を守るために老舗の職人さんが地道な努力を続けておられていることでしょう。

まとめー米菓のおせんべいの歴史は意外と最近だった

米菓であるおせんべいは、日本の歴史の中で長い間食べられてきたのかと思われそうですが、意外にも近代以降に盛んに食べられていたようです。小麦粉由来の煎餅のほうが歴史が古く、史料にもところどころで見ることができます。

餅菓子が高級な和菓子であったのに比べ、うるち米から作られるおせんべいはあまりにも日常的な食べ物でした。農家の間でくず米を利用して食べられていたことを考えると、腹持ちのいい間食としてとらえられていたことになります。

戦時中にはおせんべいの歴史はいったん途絶えました。今ではスーパー、コンビニ、ネットでも多種多様なおせんべいをいつでも購入し、食べることができます。おせんべいとは、日本が平穏無事な社会である証明なのかもしれません。

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≪参考サイト≫

≪参考文献≫

  • 本多由紀子、今井美薫『老舗煎餅』小学館、1997年刊
  • 『米菓とともに半世紀』全国米菓工業組合、2012年刊
  • 中山圭子『事典 和菓子の世界』岩波書店、2018年刊
  • 『国史大辞典』吉川弘文館、1987年刊

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