おかきはおせんべいと似ていますが、実は少し違います。原材料は同じお米ですが、おせんべいはうるち米、おかきはもち米から作られています。好まれている地域も異なり、おせんべいは関東に多く、おかきは西日本でよく食べられています。今回はもち米から作られているおかきの歴史をご紹介します。
平安時代ー鏡餅から生まれたおかき
おかきの歴史を紐解くには、鏡餅の歴史を見ていかなくてはなりません。おかきの語源は鏡餅から来ているからです。鏡餅を欠いてできるのが、かき餅。かきもちを省略しておかきとなります。京言葉が変化したものともいわれています。
鏡餅の歴史は古く平安時代の史料によく出てきます。正月の行事として歯固めという儀式がありました。鏡餅や、野菜・肉など硬い食べ物を口にして健康長寿を願う儀式でした。「源氏物語」「栄花物語」などに登場し、生活に浸透していたことがわかります。
鏡餅が役割を果たした後には小さく割って食べます。今でも1月11日の鏡開きに鏡餅を小さく割ってたべる風習は残っています。神様へのお供え物としていたので、刃を入れることを禁忌としていました。そのために槌や手で欠くことから、かき餅となりました。
戦国時代ー保存食としての役割
鏡餅を切らずに欠き割っていたのは、神様へのお供え物という理由だけではありませんでした。武士が刃を入れるという行為に抵抗があり、欠き割るようになったという理由があります。身に刃を入れるという行為を忌み嫌ったのは侍らしいですね。
中世以降武家主体の時代へと変わり、公家の礼儀作法をふまえて武家に合った作法も作られました。鏡餅を神様に供える風習から、鎧兜の前に供えるなどの変化があり、武家の間では具足餅という名前もつけられました。
保存のきくかき餅は、戦国武将の兵糧として食されてもいました。日持ちもしてカロリーも高いもち米は兵糧にピッタリでしょう。餅自体が戦の時に重宝されており、たくさんの武将が餅を兵糧にしたり、兵士の士気を高めるためにふるまったりしていました。
江戸時代ー間食としての役割
米作農家では、日常食としても食べられていました。冬季に大量の餅を搗き、寒風にさらしておかきを作っていました。農繁期のおやつにしたり、お茶うけ、来客への手土産などと重宝されていました。正月明けから寒さ厳しい時期に作る寒餅は傷みにくいため大量に作り置きをしていました、
戦国の世が終わり、平和な時代になると庶民の暮らしにもゆとりが出てきます。物見遊山や神社仏閣巡りが盛んになり、自然と人が集まる観光地が増え、食文化も豊かになります。観光地では全国様々な名物が誕生しました。
日常食として各家庭で食べられていたおかきは、旅人や参拝者をもてなす食べ物にもなります。腹持ちがよく旅で消耗した体力を復活させるにはうってつけでした。味の良さを誇る名店も出てくるようになりました。
特に京都では寺社仏閣のまわりで名物が生まれ、大変な人気を集めました。有名なところでは「丸山欠餅」があります。現在の丸山公園の周辺にあったお寺では盛んに欠餅が製造販売されていました。
近代以降ーおせんべいとの共存
江戸も幕末になるとうるち米から作られた醤油味のおせんべいが登場します。もともとはくず米を利用した農家の間食でしたが、草加せんべいに代表されるように宿場発祥の名物が生まれました。街道を行きかう旅人の間で評判となり、評判が拡がっていきました。
おせんべいは江戸っ子に受けたようで、いつのまにか関東ではうるち米から作られるおせんべいが米菓の主流となりました。関西でおせんべいが積極的に作られることはなく、戦前までは東京土産として関西の人に喜ばれていました。
かきもち自体は正月にかかわる食べ物ですから関東でも昔から食べられていました。おせんべいとともにおかきも製造されていましたが、だんだんとおかきとおせんべいを区別することなくなっていき、とくに米菓を総称しておせんべいという人も多くなりました。
関西ではおかきが主流のまま現在に至りますが、現代ではおせんべいを販売しているお店も目につくようになりました。そもそも厳冬期の間に餅をついてかき餅をつくる風習は日本全国に存在しており、現在でもおかきは国内のあちらこちらで作られており、名物となっています。
まとめーおせんべいよりも歴史が古いおかき
鏡餅をルーツとするおかきは、年中行事から始まる長い歴史の中で日本人に長く愛されてきました。保存食としてもすぐれていました。行事食から始まり、間食としての役割を担い、嗜好品になった現代まで様々な形で食べられています。
関東ではうるち米を原料とするおせんべいと混同することが多いですが、日本中のいたる所でおかき作りは連綿と続いており、日常と深くかかわっています。味の違いにこだわる必要はありませんが、おせんべいよりも長い歴史を持つおかきの背景を知れば、一味違ってくるかもしれません。
〈参考サイト〉
- 江戸時代の京名物「丸山欠餅」『京都米菓工業協同組合』http://www.kyoarare.com/history/content3.htm
〈参考文献〉
- 阪本寧男『モチの文化誌』中央公論社 1989年刊
- 渡部忠世、深澤小百合『もち(糯・餅)』法政大学出版局 1998年刊
- 『米菓とともに半世紀』全国米菓工業組合 2012年刊
- 亀井千歩子『47都道府県・和菓子/郷土菓子百科』丸善出版 2016年刊
- 阿部泉『史料が語る年中行事の起原』清水書院 2021年刊
- 安室知『餅と日本人』吉川弘文館 2021年刊
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